しまね県精神当事者連絡会

活動内容

当事者からのメッセージ

組織結成を機に当事者の意識向上を
アクティブあじさいの会 Yさん

初めまして、アクティブあじさい会のYと言うものです。この度全県組織をたちあげるにあたり、わたしの所感を少し書かせてください。
いま、国は障がい者支援法等、我々の生活をおびやかす方向へ向かっています。我々当事者は、病気や問題を自分のこととして受け止め、またありのままを受け入れ、現実と直面し強く生きていかねばならないと思います。親もいつまでも元気ではありません。意識を向上させていくこと。病気によってそれができない人もいるかもしれません。しかしそれが可能な人なら是非実行してほしいんです。偏見や差別に負けないで、ありのままの自分を受け入れてください。たやすいことではありませんが、それができたら心が楽になります。
そしていつまでも人のせい、何かのせいにしないで、自主性をもってほしいです。僕は親が一生懸命勉強したり心配しているのに当人に意識がない当事者の人を何人も知っています。やはり、自分のこととして直面しいくべきだと思います。当事者側も、あまりにも家族会・医療サイド・福祉サイド、ボランティア等にまかせっきりで、肝心の当事者が人任せのように思えることがあります。もっと当事者は自分たちのことを自分の声に出していかないといけないと思います。全県組織を結成するに当たり、みなさんで我々のことを少しでも良い方に変えていこうではありませんか。

2006年5月に島根県当事者連絡会が発足し、第一号の機関誌に投稿されたYさんは今はもうおられません。Yさんの声をホームページ発足に当たり掲載させて頂きました。

会員の声

  • Yさん

    私は20歳の時、統合失調症を発症しました。40歳の時、パソコンのB型事業所に見学に行きました。その時対応してくださった女性スタッフが優しくて話しやすく、この事業所に通所しようと決めました。事業所ではパソコンの立ち上げ、ローマ字から親切丁寧に教わりました。42歳の時に心理検査を受けると発達障害でした。病名は自閉スペクトラム症です。事務所のスタッフに打ち明けると今まで通り接して下さり、ほっとしました。

  • Iさん

    僕が感じる、この病気の生きづらさは目に見えないということです。病気特有のしんどさを感じていても、周りの人がそれに気づいて、配慮してくれるということは相手が福祉施設の職員さんや看護師さんでもない限りほとんどありませんでした。特に就労の場などではお互いに余裕が無いので酷くダメージを負う事もあります。

  • Kさん

    私は、八年前に発病した精神疾患者です。
    薬の影響で、眠くなります。そのため、車は、ペーパードライバーになってしまいました。
    車が無いことの不便さは、田舎では致命的でした。車に代わる通信手段としての、障がい者のネット環境整備が、必要だと感じます。また、バス・電車等の公共交通機関のため、市内バスの割引運賃には、いつも感謝しています。
    ネット基本料金が少しでも安くなり、どこでもwifi設置の割引など、整備されると生きやすいのに、と切に思います。移動手段のないものほど、ネットの恩恵を受けるのです。

  • Hさん

    島根県精神当事者連絡会に投稿しませんか?
    お気軽に編集室に、お問い合わせください。
    あなたに出来る何かを手伝います!
    何かを変えたいという気持ちを大切にします。

  • Kさん

    私は中学の不登校から人付き合いの苦手なことから、何年か人としゃべれない日々が続いていましたが、人との出会い、つながりによって少しづつ社会に出れるようになり、また当事者連絡会の活動に出ることによって、成長してこれたことを、感謝しています。今、コロナによって人とのつながりが、さらに少なくなり、さらに生きづらい世の中になっていますが、病気を持っても、希望を持って過ごせる社会を目指して、一歩一歩活動をこれからもしていきたいと思っています。

  • Sさん

    会に入った大きな目的の一つが、JRの汽車賃を半額にすることでした。県の会に入れば、より近道になると考えたからです。会費も安くつくし、合理的でした。国連で、日本国は障がい者に対する不当な差別など、人権を守ることを約束していました。なのにどうして障がい者へのサービスを拡充していかないのでしょうか?若い人には、見聞を広める様に言いたい。是非、若いうちに、全国大会などに出て、他県の人と話す機会を作り、自分を見つめ直すことが重要です。

  • Mさん

    SSTに参加している時のトークテーマで「治療限定でなく、SSTの延長のようなもので、ゆる~いサロンのようなものはできないものか?」と投げかけた時、作業療法士の方から「島根県精神当事者連絡会というのがあって、事務局のHさんっていう人が同じようなことをやりたいような話をしておられたので連絡を取ってみたらどうか?」と、Hさんの顔写真入りの名刺をコピーしてもらいました。活動の中で一番印象に残っているのは、益田で開催された総会の場で体験発表したことです。

  • Mさん

    人事異動で職場が変わった時にストレスを感じ統合失調症感情障がいを発病しました。受診したり薬を飲むことに対して納得できずにいました。研修があり、そこでも人間関係にストレスを感じ、自殺未遂で4階から飛び降り10ヶ月入院し、職場に復帰したり、又すぐに入院したりの繰り返しでした。ピアサポーターになり活動を始めました。最初は緊張しましたが、病棟に入院している方と、軽スポーツを一緒にしたり話を聴いたりして打ち解けたりして、今はそれがライフワークになっています。

  • Yさん

    令和4年9月15日でホテル清掃員を退職しました。11年5ヶ月半勤めました。長いようであっという間でした。初めて月給をもらう仕事につきました。やりがいのある良い職場でした。給与が少ない分、貢献度は高かったです。同僚の皆さんに辞めるなと引き止められました。が、潔く辞めました。膝が痛かったのもありますがそれよりもうたくさんと思いこれくらいでいいと辞めさせて頂きました。私はフリーになりかなり批判がある世の中です。次につながるために辞めるしかないと思いました。今後は未定です。まだ、残りの時間があります。有意義に消化したいです。ありがとうございました。

  • Oさん

    生きづらかった人生
    二十代前半で統合失調症を発症し、三十年以上リカバリーに努めてきました。最近は薬も減り、病気の症状も治まってきました。しかし思うに、もがいている間に時間が流れさり「若い時にもっとこんなことがしたかった。」という後悔の念に囚われることもあります。でも当事者活動で「なかま」に出会い、人への「やさしさ」「痛み」を知ることができた人生はそれなりに価値があると思えるようになりました。

  • Bさん

    35歳で自閉症スペクトラム、注意欠陥多動障がい(ADHD)と診断。仕事が長続きせず、親には甲斐性ないと責められました。心療内科も3回変えました。今の心療内科で、診断されて、障害年金を貰いました。貰えるものは貰うと生き辛さはかなり減るのかなと思います。

  • Tさん

    自分の主治医は医学の専門書(瀬江千史 著「医学の復権」「看護学と医学 上下巻」「医学原論 上巻」瀬江千史・菅野幸子 共著「新・頭脳の科学 上下巻」本田克也 他 共著「看護のための「いのちの歴史」の物語」神庭純子 著「初学者のための「看護覚え書」1~4巻」など)を読めません。「わかりません」、医学の専門書も「難しくて読めません」と言っている医者達に40年近くも診てもらっている患者の人生はどうなるんだよ!という気持ちになります。